4年前の12月。私の奥さんは突然クモ膜下出血で倒れました。(写真はその原因である脳動脈瘤です。)
長男が1歳になったばかりの冬の事でした。夕方長男と二人買い物に出かける支度をしていた奥さんが、急に倒れたのです。病院に運ばれて脳を調べてみたら、クモ膜下出血であると診断されました。
生存率50%
くも膜下出血〜まとめ:病気・健康:サムリのブログ(詳しくはこっちに書いているので、よかったらどうぞ)
本当に、本当に突然の事でした。奥さんが倒れて、救急車に運ばれて、クモ膜下出血だと診断されるまで3時間なかったと思います。
そしてお医者さんから言われた言葉が「生存率は50%」さらに「生存したとしてもそのさらに半分25%は体に何らかの後遺症が残る。最悪一生寝たきりもありえる」と
それまで当たり前にあった日常がガラガラと音を立てて崩れていく瞬間でした。
ついさっきまで元気に笑っていた奥さんが、今晩このまま死んでしまうかもしれない。完全に頭の中が真っ白になりました。
—–
あれから4年が経ちました。手術も無事に成功し、大きな後遺症もなく、そこからさらに次男を出産し、幸せな日々が続いています。
しかし、あの日から少しづつ私の中で変わっていった事があります。
死への捉え方
はじめは、ただただ「死」への恐怖が増大していきました。この先だって、人生いつ何が起こるかわかりません。奥さんが死ぬ事、息子たちが死ぬ事、そして自分が死ぬ事が、怖くて怖くて仕方がありませんでした。
情緒不安定になる事も多々ありました。
家族に死んでほしくない。そして家族を残して死にたくもない。いつまでも家族一緒に幸せでいたい。その思いに固執している時期がありました。しかしある時、
「いつまで?」
素朴な疑問が自分の中に生まれました。
明日明後日死ぬのなんて絶対嫌です。いや1年後、3年後、5年後だって嫌です。10年後?20年後?30年後?
はたまた40年後?50年後?いや50年後なんて89歳ですよ。流石にそれは、、、
と当たり前の事ですが、否が応でも人はいつかどこかで必ず死ぬ事、そしてそれは自殺しない限り自分では選べないという事に気づきました。
死を思う事で「生きる」事が見えてきた
死にたくありません。しかし死は必ず訪れます。悲しもうが恐れようが、絶対に避ける事ができません。
それが50年後だろうと、10年後だろうと、1年後だろうと、それは誰にも分からない。
でも共通しているのは、何年後だろうと残された時間は「有限」だという事。そう気付けた事で、少しづつ考え方が変わってこれたように思います。
死を思う事で、生きるという事の意味と価値が見えてきたように思います。そして死に対して、無駄に怖がるのではなく、どう生きて、どう死んでいきたいかと冷静に考えることができるようになりました。
「出来る限り家族と一緒にいたい。そして出来る事なら死ぬ時も家族に囲まれていたい。」
それが私の思う生き方と死に方でした。
面倒だから、忙しいから、明日にしよう、今度にしよう。でもその明日は来ないかもしれない。今度はないかもしれない。だから今日やろう。今やろう。
あの時ああ言えば良かった、あんな事言うんじゃなかった。後悔を積み重ねながら死に向かうのなんて悲しすぎる。家族で罵り合う人生なんて最低だ。毎日ありがとうと言おう。毎日愛していると言おう。
明日がないかもしれないから絶望するんじゃなくて、今日がある事に感謝し続けて毎日生きて行こう。
家族と育児にこだわる理由
この死生観が、家族と育児にこだわる理由の一つなんだと思います。
だから、息子たちが「ねえ、ねえ」と話しかけてきた時、それが仮に仕事中でも、「今度にして」とは言いません。必ず最後まで話を聞くようにしています。(その上で、今仕事中だから何時になったら続きを、という風に話します。)
毎日息子たちを抱きしめます。毎日ホッペにキスをします。毎晩寝る前に絵本を読み聞かせします。
毎日奥さんにありがとうと言います。毎日愛していると言います。
死を強く思い考えた時、それが一番幸せな事だと思ったからです。
これからも、ちゃんと死ぬ為にちゃんと生きていけるよう頑張りたいと思います。
よろしかったらこちらもどうぞ「私が家族と育児にこだわる、もう一つの理由」
私が家族と育児にこだわる、もう一つの理由