大人は大人の都合で、話を分ける。
「それとこれは話が別だ。次元が違う。」と。でもそんな言い分子供には全然、通用していないんだよ。
うちの子は毎日コツコツと勉強してくれないと嘆く。日々の反復こそが大切だというのに、、、。
と言いながら、かつて子供が同じ絵本を何度も読んでくれとせがむのを「同じのじゃつまらない」「退屈だ」「面倒くさい」と言い放ち、断ってこなかっただろうか?
そして今、毎日の宿題を「つまらない」「退屈だ」「面倒くさい」と吐き捨てる子供達を叱りつけるという。そこに大きな矛盾がある事に私達大人が気づいていない。
実は、子供は勝手に一人で何かを反復しながら、学んでいく。しかしそれは時に親にとって都合が悪い事がある。出かける時間だから、部屋が散らかるのが嫌だから、片付けるのが面倒だから、時間を取られたくないから、、、、。
そんな事もうしないで。今はやめて。やらないで。親の都合でやめさせてきた。
親の都合で反復を遮断しておいて、学校に上がった途端にまた反復しろと強制する。
またその言葉も問題だ。反復が大切だと言っておきながら、自分の口からは反復に対して「つまらない」「退屈だ」「面倒くさい」という言葉が出てくる。まんまと子供もその真似をする。
子は親を映す鏡とはまさにこの事。
子供は私達の一挙手一投足のコピペで形成されている。子供が親の言う事を聞いてくれないと嘆く時、その原因のほとんどが私達、親に問題がある。
子供は全てをちゃんと見て、聞いているよ。
子供が大きくなったら、聞いているだけじゃなくなる。言ってくるよ。私達の矛盾を鋭く突いてくるよ。
そこで適当で雑な、あしらい方をしたら、きっと終わる。その後になって、どんな正しいことを、偉そうなことをいっても子供の耳にはもう入らなくなる。
子供に対して思う事があるなら、まずは私達が自分自身を改める事からはじめなきゃだめだ。
親として発する言葉、行動。その一つ一つを子供はちゃんと見て、聞いて、そこから必ず何かを感じ取っている。直接子供に伝える言葉だけじゃない。夫婦同士の会話も聞いている。夫への接し方、妻への接し方。それすらもちゃんと見ている。
背筋を伸ばそう。襟を正そう。
子供はその言葉を真似するよ。その行動を真似するよ。